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2019年をふりかえって


2019年の総括をしようと思いましたが、2010年代も今年で終わりですしせっかくの機会なので大和栗園の歴史を振り返りつつ直近10年で大和栗園がどう変化したのかを息子の視点から書いていきたいと思います。

 

(長くなりそうなので何回かに分ける予定です。)

 

大和栗園に毎年来てくださる方には大和栗園のことをより深く知ってもらう機会に、大和栗園への来園を検討している方にはちょっとした判断材料になればいいなと考えています。

 

大和栗園の変革

さていきなりですが、この10年で大和栗園は劇的に変化しました。

 

変革というとちょっと大げさですが、昔に比べたらだいぶ変わったのでかっこよく「変革」とします。笑

 

昭和から令和に10年でジャンプしたくらいの感覚です。

 

誰が、なぜ、どう変化した(させた)のかの出発点をまず書きたいなと思います。

 

劇的ビフォーアフターでいうビフォー(before)ですね。

そもそも売店の場所が違う...

まず売店。

 

以前は現在の売店に上がって来る途中にある小屋で営業していました。

 

今ではシーズンオフのときに看板を保管しておく物置のような位置づけになっています。笑

 

今でも「昔は売店が(坂の)下だったねー。」とか言ってくださるお客様がいらっしゃいますが今から6年以上も前のことだと思うとそんなに長く常連さんでいてくれるんだなーと感慨深いものがあります。

 

個人的には土間でちょっと埃っぽかった記憶があります。笑

 

園への入口にある旧売店。哀愁が漂います。

「焼き栗」じゃないよ「茹で栗」だよ

 

次は提供する商品。

 

現在試食で提供するのは「焼き栗」ですが、以前は「茹で栗」を提供していました。

 

茹で栗は茹で栗で美味しいんですが、焼き栗よりも時間は掛かるし重労働でした。

 

薪に火をつけて釜で湯を沸かしてそれからさらに1時間くらい茹でるのでなかなか骨が折れます。

 

そして何より来園したお客様も自宅で茹で栗を作れるので試食としての役割はもちろん果たしていますが、希少性といいますか大和栗園じゃなきゃ食べられないといった感覚はなかったです。

 

ちなみに私は一連の作業を経験した記憶がありません。

 

(断片的に手伝ったもしくは邪魔してた記憶はありますが…)

 

そして当然ながら当時は焼き栗も飲み物も販売していませんでしたし、栗の皮剥きのサービスもありませんでした。

 

当時は当時で良かったのかもしれませんが、今と比較すると9月の残暑厳しい日などはただ栗を拾って帰る、というある意味過酷(?)とも言える観光農園だったかもしれません。

 

 

初代 園主はおじいちゃん

 

そしてスタッフ。

 

昭和〜平成初期は祖父・金吉(きんきち)中心の運営でした。

 

さすがに今の常連さんでも祖父に会ったことある人は極めて少ないのはないでしょうか…。

 

(いたらぜひ教えて下さい!)

 

そこに両親であったり祖母であったり、叔父、叔母、母方の祖父母も助っ人に来て営業してました。

親戚も招集して総力戦です。

 

余談ですが私は野球をやっていたので週末でさえもまったく手伝った記憶がありません。笑

 

9月というと運動会の季節とちょうど重なっていました。

 

幸い母や祖父母は来てくれていましたが、栗園の方はてんやわんやだったかもしれませんね。

 

 

現園主である母・京子は30年以上も働いている大ベテランです。

 

ちなみに今もお手伝いしてくれてるおばちゃん(光子さん)は親戚ですが私から見て実の祖母とかいうわけではありません。

 

親戚という関係性はすごい。。。

 

そして御歳90歳‼︎(すげー!笑)

 

自分が90歳になっている時代が想像できませんが、きっとその頃は栗の栽培から収穫まで全自動になっているのではないでしょうか...。

 

 

「十年一昔」とはよく言ったものですが、かなり変わりましたね。そんなわけで少し前のお話でした。

 

次回以降はここ10年くらいでやって来たことをつらつら書いていきたいと思います。